たたかう村人

三十六計逃げるに如かず。わかっているけど逃げられない。

半分、赤い

労組の運動手法のひとつに文化闘争と呼ばれる取り組みがある。構成詩(寸劇・朗読劇等)と、うたごえ(労働歌)がそれだ。

当然のように、現代では廃れている。理由はたぶん、ダサいイメージだからだと思う。

ダサい、宗教的、という声が真実を捉えているかは個人の判断だか、やってる人はガチだし、やってもらう方も大変さはある。学生時代は校歌も碌に覚えてないし、歌った覚えもないけど、仕方ない。

国際的な労働歌 インターナショナルは大学時代に、社会主義への関心からmp3をダウンロードして聴いていたので、歌詞はわかる。驚いたのは、労働歌は現代でも作られ続けているということだ。グッバイオーバーワークは結構良い歌だと思う。エモい。

去年、500人規模の集会で発表する構成詩の脚本を担当した。ある単組が、不活発な状態から、集会を開催したり、当局に対して要求や交渉を実施するまでの実話をもとにした作品だ。正直、エンタメ性があるような面白いもんでもないが、「まぁ、それなりにまとまってるね」くらいの評価を得た。

そして今年、1500人規模の集会で発表する構成詩の脚本を担当している。今回は沖縄の基地移設をめぐる物語だ。果たして、面白いかどうかは判断しかねるが、たぶんそれなりにまとまるような気はする。

暑い中、脚本を書いていると、大学二年生の夏に、サークル仲間と模擬裁判の脚本を一部書いていたのを思い出した。あの時は、同じく脚本担当の仲間数人と、学校やファミレスで集まって、あーでもないこーでもない言いながらやっていた。

あの時は「めんどくせえ」と思いながらやっていたけど、いま楽しかった思い出として、パッと思い出されるのは、意外とそういう記憶。あの夏は暑かった。

 

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