たたかう村人

三十六計逃げるに如かず。わかっているけど逃げられない。

嵐の月曜日

先週は、水道メーター検針の準備、水道関係工事の設計(手伝い)、小学校の社会科見学(生活という社会科と理科を合わせた科目らしい)で、子供たちを下水道の浄化施設を案内、年明けの村おこしイベントの打ち合わせ会議、管内の労組青年部(21単組)の代表者会議で平日が終わっていき、金曜日には2度目のJアラートで早朝叩き起こされた。

Jアラートが不具合で鳴らなかった自治体は、その後のメデイアへの対応でエライ目にあうらしい。このまま、何度もミサイル発射が繰り返されると、こちら側も変に慣れて警戒心が薄くなったあたりで大変なことが起こるような気がしておそろしい。

金曜夜は高校の同級生と久々に会う。お互い、辛い時期かもしれないけど、無理せずやっていきたい。

土曜日の時点で、九州が台風で大荒れのニュース。月曜日(本日)予定していた、村有志主催の渓流釣りイベント中止の判断を下し、実行委員で手分けして参加者に連絡。

土日は遠方から3人ほど、労組の幹事仲間が来て、来週の定期総会と、その後の新旧役員激励会の準備。主に退任する役員(部長・副部長)の写真や動画を編集する作業。

退任する部長と副部長は、それぞれ3年と2年の任期を全うした。休職専従の部長もかなりのハードスケジュールだが、非専従の副部長も通常業務を抱えながら、職場の悩みを持つ人の相談によく乗り、業務終了後や休日には各所に足を運び、問題解決に尽力した。また、各種集会の仕切りや、講師としても活躍していた。とても真似できない。俺は周りの意見を聞きながら、自分に出来ることを確実にやっていくしかない。

仲間3人は、せっかく遠方から、しかも自費で来てくれたので観光地(湧水の水汲み場とか)も案内し、夜も村にわずかしかない飲食店で盛大に歓迎。

地域が違い、組織の規模が違っても、課題はあまり変わらないような気がする。こんな話題を話し合える同年代の仲間は貴重。

作業は三連休すべて使って完了させるつもりだったけど、台風で予想される災害対応のため、全員日曜日深夜に帰宅。朝方地元に着いた人も。次に集まるときは俺が出向こう。 

本日朝から強風。停電になった瞬間家を飛び出し、職場に集合してから施設巡回と復旧作業。幸い、重大な事故には至らなかった。いまも自宅待機中だけど、いつまた施設から異常を知らせる連絡が来るかもしれず、落ち着かない。

釣りのイベントは中止にして良かった。また、親子連れが楽しめるようなイベントを企画したい。

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今日から俺は

久しぶりに、はてなで日々の記録をつけてみる。

最近の関心事はもっぱら労働組合や社会運動に関する事象。

きっかけは単純に、2年ほど前から職場の労組(青年部)の上部団体の役職に非専従の身分で就任したことで、もともとは殊更意識の高い方でもなかった。

ただ、大学時代に社会主義国の歴史や国威発揚、大衆扇動について不真面目ながら興味を持って学習していたことや、ゼミでの討論の経験から、あれよあれよと言う間に労働運動・青年部運動の世界に後戻り出来ないほど足を踏み入れてしまった。

政治思想的にも経済思想的にも(そんなたいしたもんじゃないけど)右寄りで、合理的にモノを進める事を是としていた自分が、わりとそのメンタリティのまま、突き進んでいる。

2年間、納得のできないような政治活動、反核・反原発・反基地・平和活動に反発したり、学習の中から折り合いをつける道を発見したりしながら、労組の本分である、職場環境の改善のために自分なりに頑張ってきた。

職場や周囲への無関心や、スカしたおしゃれ野郎にも反発し、あるときは、仕事との両立(仕事が最優先。だけど、引き受けたからには踏ん張らなくてはいけない時もある)や友達や彼女にも理解してもらえなくて苦しんだ。

成果という成果は無いけど、自分が一生懸命やったら少しだけでも変わった部分が出てくる。ということを糧に、悩みながら、周囲から奇異の目で見られながらも活動してきた(認めてしまえば、宗教にはまるプロセスにも似たものがあると思う。自分の問題意識と承認欲求にもばっちりマッチした)。

その役員任期も今月で終わり。自分の中では今後もなんらかの形で組織に残り、アドバイザー的な立場で青年部運動を支えながら、同時に、基本組織(親組合)の活動にステージを移しながら、たたかい続けようと考えていた。

また、これまで培った人脈を活かして、地域の中に多産別(異業種)の青年を巻き込んだ学習・交流組織を作ろうと動き始めていた。

仕事でも、徐々に任されることが増えてきたので、職場の中の期待に応えたいし、先輩や上司の助けになりたい。プライベートでは旅行もいきたいし、酒も飲みたい、趣味のフットサルやブラジリアン柔術にも再び打ち込みたいし、積んでいる本も消化したい。なにより、結婚も考えていた(2年待たせた)。

しかし、先日、上部団体より、今より更に上の役職(青年部副部長)への就任を打診された。当初はとてもやりきれない、しかも非専従では休みや業務外の時間をすべて労働運動に投入しないといけないのではないか。さりとて、職場を休職して専従者となることも、いまの職場事情では現実的ではない。

断わろう。やってられっかそんな貧乏くじ。と、考えてから一息ついて再考してみた。俺のこれまでの2年間はなんだったのか。もっというと、これまでの29年間はなんだったのか。

今までの自分と折り合いが付けれるのか。無駄に溜め込んだあまり役に立たない知識やノウハウが陽の目を見るんじゃないのか。

まずは彼女に相談。怒られるかな。曰く「若いうちに与えられた役割から逃げていたら、歳食ってから使い物にならん。やってみてはどうか」

確かに。

自分の座右の銘はなんだっけ。大学生の時に設定したんだった。「元気があればなんでもできる」「迷わず行けよ、行けばわかるさ」「至誠に悖るなかりしか」いずれも暑苦しい。が、いい言葉だ。

よし、やろう。

上記顛末のとおり、いまどき労組の、しかも青年部の役職を非専従で受けるという貧乏クジを進んでひいてみた。

自分の時間が無くなる、勉強しないと、彼女の機嫌も取らないと。仕事は最優先だ、酒も飲みたい。何よりも、青年部活動に邁進すればするほど、肉体的には青年にあるまじきものになってくる。身体が重い。運動して痩せねば病気になってしまう。

いや、しかし、忙中閑あり。時間は自分で作っていこう。そして、自分の内面とも積極的に向き合っていこう。

ということで、今日から日記を書いてみることにした。

 

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